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usi・琉球ガラス・稲田石 世界に誇る日本ブランド〜3つのコラボレーション

琉球ガラス

琉球ガラス

琉球ガラスが盛んにつくられるようになったのは明治の中頃といわれ、その歴史は100年余り。本格的にガラス工芸として脚光を浴びるようになったのは、戦後、沖縄に駐留するアメリカ軍人向けにつくられるようになってからです。原料の乏しかった時代、アメリカ兵が捨てた空き瓶などから生まれた再生ガラス製品として売られていましたが、その鮮やかな色遣いと細かい気泡の入った美しさで“泡ガラス”として人気を集めたのです。
そこから半世紀余り、原料や技術者の格段の進歩とともに、“沖縄が生んだ光の芸術”として世界的にも高く評価されるようになりました。いまや琉球ガラスは、日本を代表するブランドにまで成長を遂げたといえましょう。

稲田石

稲田御影石

稲田石。正式には稲田白御影石(いなだしろみかげいし)と呼ばれます。稲田白御影石は明治時代から日本中で好まれて使われてきました。古くは明治35年施工の東京の三井銀行本店、そして明治神宮をはじめ、たくさんの寺社仏閣や、明治40年施工の東京・日本橋など、日本の近代史に欠かせない重要な建築には、ほとんど稲田白御影石が使われていると言ってよいでしょう。
稲田白御影石は、結晶粒と結晶粒の間に隙間がほとんど無く、それぞれが非常に緊密に結びついていることが特徴です。この緊密さ(=つまり、隙間に余計な鉱物が何もできていないこと)が、作品制作の仕上げにおいて、美しさをもたらす最大の要因なのです。近年、とくにその“白さ”においては石のなかで“世界一”とも評されています。

琉球ガラス作家 - 琉球ガラス村
平良恒雄
TAIRA Tsuneo

平良恒雄

琉球ガラス〜沖縄が生んだ光の結晶

海と花と太陽…沖縄の自然美を映し出しているような鮮やかな色遣いが特徴の琉球ガラス。日本を代表するガラス工芸のひとつです。はじまりは明治の中頃といわれ、その歴史は100年余り。本格的にガラス工芸として脚光を浴びるようになったのは、戦後、沖縄に駐留するアメリカ軍人向けにつくられるようになってからです。原料の乏しかった時代、アメリカ兵が捨てた空き瓶などから生まれた再生ガラス製品として売られていましたが、その鮮やかな色遣いと細かい気泡の入った美しさで“泡ガラス”として人気を集めたのです。そこから半世紀余り、原料や技術者の格段の進歩とともに、“沖縄が生んだ光の芸術”として世界的にも高く評価されるようになりました。いまや琉球ガラスは、日本を代表するブランドにまで成長を遂げたといえましょう。

プロフィール

1950年5月15日生
高校卒業後、沖縄ガラス工場に入社
現在、琉球ガラス村工場長
沖縄県工芸士

“ガラスはどんなに形の良いものを作っても色遣いで決まる”常に沖縄の美しい自然に目を凝らしながら、作品の色遣いに反映させている。

日本民芸公募展優秀賞 ほか、受賞歴多数。

石工 - 有限会社 塩幡石材工業
塩幡 進
SHIOHATA Susumu

塩幡進

石工(いしく)は日本古来の“彫刻家”です。人類文明のもっとも初期からある専門的職業であり、先人たちは、歴史・技術史にその名を刻んでまいりました。私は日本古来の彫刻家“石工”として、その伝統と誇りを受け継ぎながら、日本人ならではの精巧さ、究極の仕上げを求めて日々精進を続けております。私が扱う稲田御影石(いなだみかげいし)は、結晶粒と結晶粒の間に隙間がほとんど無く、それぞれが非常に緊密に結びついていることが特徴です。この緊密さが作品の仕上げにおいて、美しさをもたらす最大の要因です。とくに、その“白さ”においては世界一とも評されております。

プロフィール

1971年5月14日生
茨城県笠間市出身
学業を経て、師匠である父親のもとで修行を始める。 現在、若手有望株の石工(いしく)として活躍中。 東京駅復元工事など著名顧客からの依頼多数。

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